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ドイチャンコーヒーとの出会い

このページでは、私ことラビットファイブの大井田忠道と、ドイチャンコーヒーとの出会いをご紹介いたします。

はじまり

当時の私は、人生の岐路に立たされていました。というのも、私は、大手某コーヒー会社に三十年以上勤めておりましたが、不景気のあおりを受け私の会社も経営合理化のため早期退職を募っていたからです。早期退職に応じれば、退職金の増額が受けられるとのことでしたが、コーヒーの営業経験しかない私が、他の職業に就いたとしても、ちゃんとやっていけるかどうか、とても不安でした。

タイ旅行

そんなある日、私は長い間使わないでいた有給休暇をとって、タイ旅行に出かけました。 タイのバンコクに到着して数日後、タイの京都と譬たとえられるタイ北部のチェンマイへ足を伸ばしました。歴史と伝統のあるチェンマイの古寺を一日中歩きまわり、疲れた果てた足腰を休めようと一軒のカフェに入り、コーヒーを注文しました。バンコクでインスタントコーヒーのような強烈な味に慣れた私は、味などまったく期待していませんでした。ただエアコンの効いた部屋で、下戸げこの私は、ビール代わりに苦い液体で乾いた喉を潤したかっただけでした。ところが、その予想を完全に裏切られてしまったのです。

うまいコーヒー

三十年以上にわたってコーヒー豆だけを売ってきた私には、コーヒー豆に関してそれなりの自負というか自信・確信のようなものがありました。「タイなどにうまいコーヒーなどある筈がない」「輸入品だろうか」などと考えました。というのも、その味が、昔飲んだことのある今では幻ともいわれる原種のモカになんとなく似ていたからです。しかも、その味を上回っていたのです。「こんなにうまいのは、強い日差しの中を一日中歩き回って、喉が渇いていたからに違いない」と、自分自身を納得させようとしました。

土井ちゃんコーヒー?

おかわりを注文するとき、二十代前半の浅黒いウェイトレスに、私のつたない英語で訊いてみました。「これ、モカコーヒー?」すると、彼女は白い歯を浮かべながら、「ノー、ドイチャンコーヒー」と笑みを投げかけてきたのです。「土井ちゃん…コーヒー?」と、思わず訊き返すと、また彼女が唇から白い歯をさらに浮かべながら「イェス、ドイチャンコーヒー」というのです。「なんだ、その人をおちょくったような名前は」「この子は、私を日本人だと思ってからかっているのだろうか」などと考えてしまいました。

ドイ=山、チャン=象

そんなやり取りをしていると、店の奥から四十代痩せ型の店主とおぼしき女性が現れて、タイ語で「ドイチャン」とは、ドイが山、チャンが象という意味だと説明してくれました。すなわち、ドイチャンコーヒーとは、タイ最北端にあるチェンライ県の海抜1000 メートルから1600メートルの山に山岳少数民族たちが最初に定住した最も古い村の一つであるドイチャン村で栽培されているアラビカ種のコーヒー豆だったのです。

体験したことのない味

翌日、ホテルでの朝食を済ませると、昨日のカフェに早速足を運びました。あの「幻のコーヒー」は、単なる思い違いだったのか確かめて見たかったのです。「昨日は、一日中歩き回って喉がカラカラだったから美味しかったに違いない」と自分自身を納得させようとしていたのですが、私の想像は、やはり再び裏切られてしまったのです。フルーティーなアロマと上品な酸味、さっぱりとした喉越しの後に残る仄かな甘味。恥ずかしながら、三十年間コーヒーを営業して回った私が、今までに体験したことのない味だったのです。

日本人の学者さん

「自分が今まで売ってきたコーヒーは、何だったのだろう」と思わず自問自答してしまいました。それまでの私は、会社の仕入部が仕入れてきたコーヒーを何の疑問も持たずに、上から言われるがままに営業してきたのです。ドイチャンコーヒーとの出会いで、ちょっと大げさに言えば、私自身の過去を否定されてしまった思いがしました。店主によれば、ドイチャンコーヒーを紹介してくれたのは、村でコーヒー農園を営んでいる女性と結婚した日本人の学者さんとのことでした。二人は、今、日本で暮らしているとのことでした。日本の連絡先を教えてもらった私は、帰国すると早速会ってもらう約束を取りつけました。

ドイチャンコーヒーの感想

学者と伺っていたので、堅苦しいイメージを勝手に抱いていたのですが、実際にあってみると、とてもきさくな人で、私の色々な質問に丁寧に応えてくれました。タイだけでなく、欧米やオーストラリアに20 年近く暮らした経験のあるその方も、研究でドイチャン村に入った時、初めてドイチャンコーヒーを飲んでとても驚き、私と同じような感想を持ったそうです。

ドイチャン村

ドイチャンに最初に人々が移住してきたのは、中国雲南省の山岳地帯に暮らしていたリス族たちで、今から90 年前の1920 年頃だったそうです。今では、リス族の他にアカ族や中国人、モス族たちが、約1000 世帯 9000 人ほど暮らしています。昔は、主に陸稲作、トウモロコシ、トマト、カボチャ、豆類等の野菜栽培の他に、アヘンの材料になるケシの栽培が特に重要な作物でした。ドイチャン村の年寄たちの話によれば、村は、肥沃な土壌と年間を通して冷涼な気候環境に恵まれ、最上級品種のケシの花の乳液を生産し、麻薬商人たちにドイチャン村のケシはとても人気があったそうです。

麻薬撲滅運動

タイ政府が、ケシの栽培を長年禁止してきたにもかかわらず、あまりその進展はありませんでした。なぜなら、ケシの栽培には、(1)肥料や農薬を一切必要としないので、(2)現金がなくても銀貨と交換できた。(3)ケシを栽培すると土壌が肥沃になり、他の農作物も肥料や農薬なしでもよく育つ。(4)ケシの未熟な果殻から出る乳液をかためたアヘンを喫煙すると、農作業で疲れた身体の疲労回復効果があり。(5) 解熱や鎮痛作用があるので、一般の化学薬品が入手不可能な山岳民族たちにとって、必要不可欠な万能薬だった。(5)一方、流通販売用の野菜栽培は、大量の化学肥料と化学農薬が必要で、それらを購入するために現金が不可欠となり、山岳民族たちは、それまで無縁だった貨幣経済の渦中に放り込まれることになり、貧困がかえって蔓延してしまったのでした。このような理由から、タイにおける麻薬撲滅運動はあまり進展が見られませんでした。

麻薬追放キャンペーン

しかし、1972 年、国連は、麻薬追放キャンペーンの一環として、ケシの転換作物としてコーヒー栽培の導入に取り組みはじめました。1983 年には、王室プロジェクトも立ち上げられ、王室から厚生省を通して栽培用のコーヒーの苗木を山岳少数民族たちに配ったり、農林省のアドバイスの下にケシの代替作物としてのアラビカ種コーヒー豆の栽培を推奨したりしてコーヒー栽培に本腰を入れ始めました。代替作物としてコーヒーが選ばれたのは、単なる偶然ではなく、ドイチャン村の土壌・気象条件等の入念な調査研究の結果でありました。

人生の集大成

このような話を伺い、私はドイチャン村に実際に行ってみたくなりました。長年コーヒー豆の営業をしてきたにもかかわらず、コーヒーの栽培環境や栽培方法、精製の中途半端な知識しか持ち合わせていなかったことを気づかされたからです。会社から早期退職を迫れていた私は、思いきって会社を辞職して、紹介していただいたドイチャン村のウサミコーヒー農園で山岳民族の家にホームステイしながらコーヒー豆の収穫から精製の仕方を約3ヶ月に渡って教えてもらいました。彼らは、除草剤や農薬などを一切使用せず、完全有機栽培で育てた豆を一粒一粒とても丁寧に収穫してから精製作業を行っていました。短い期間ではありましたが、山岳民族たちと寝食を共にし、農園で体験し学んだことは、「三十年間コーヒー一筋に暮らしてきた私の人生を集大成してくれた」といっても過言ではないほど、とても有意義なものでした。

コーヒーの木や豆に対する愛情

農民たちのコーヒーに接する態度をみて、それまでの自分に欠けていたものが、コーヒーの木や豆に対する愛情であることをひしひしと痛感しました。コーヒーを売ること以外にこれといって取り柄のない私は、「自分が惚れ込んだコーヒーを日本中のコーヒー愛飲家たちに広めたい」、それに自分の余生を掛けてみようと決意したのでした。延ひいてはその努力が、岐路に立たされていた私に大切なことを気づかせてくれた山岳民族たちに、多少なりとも恩返しができると信じております。

カップテストでは 93 点

ドイチャンコーヒーは、今では、北米やヨーロッパだけでなく、台湾、韓国、オーストラリアにも広く輸出され、『世界の一流コーヒー購入ガイド Coffee Review』が行ったカップテストでは、93 点という高得点を獲得しています。栽培・精製・ロースト方法に改良を加えていけば、夢の95 点超えも決して不可能ではないと確信しております。そう遠くない将来、ドイチャンコーヒーを、日本国内においても主要なコーヒー・ブランドに飛躍させたいと考えております。そのためにも私自身、日々精進積み重ねて行かなければと思っています。 ラビットファイブ 代表取締役 大井田忠道

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​ドイチャンコーヒーのカップテスト結果

『世界の一流コーヒー購入ガイド Coffee Review』が行ったカップテストでは、93点という高得点を獲得しています。

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